奈良 ~南明寺・圓成寺・浄瑠璃寺・岩船寺~ 2010/11/13
今日は相方と奈良へ。
忍辱山・南山城・柳生みち周辺のお寺巡りを楽しんできました。
大阪から車で約1時間半ほどで、最初の目的地である南明寺に到着。周辺は自然がいっぱいで、何ともほのぼのとした風景が広がっております。 →南明寺の本堂です。このお寺の成り立ちはよく分かっていないそうですが、この建物自体は鎌倉時代に建てられたと考えられています。重要文化財に指定されております。 |
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←南明寺の本堂を別の角度から撮影した写真です。 本堂の内部は太い梁や格天井などの重厚なシブい空間になっており、薬師如来坐像や釈迦如来坐像など、平安時代の古い仏像(重要文化財)が安置されています。 普段は事前予約が必要ですが、今回の特別開帳期間中は予約なしで拝観することができます。 |
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30分ほどで南明寺の拝観を終え、車で約10分ほどのところにある圓成寺に行きました。 お寺に伝わる書物には天平時代に虚瀧(ころう)という唐僧によって開かれたと書かれているそうですが、実際は1026年に命禅(みょうぜん)上人というお坊さんが、ここに十一面観音を祀ったのが始まりと言われています。 →室町時代に再建された楼門。重要文化財に指定されております。 |
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↑紅葉がとっても綺麗でした。後ろに見える建物は本堂で、阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。この阿弥陀さんの光背(宝相華唐草文様の透かし彫り)が実に見事です。その美しさには溜め息が出ました。柱に描かれた二十五菩薩の絵も素晴らしかったです。 ←多宝塔です。内部には運慶作の大日如来像(国宝)が安置されています。台座に書かれた銘から、運慶がまだ20代半ばという若い頃に作ったものであることが分かっているそうです。均整の取れたとても美しいお姿にウットリ。 |
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↑国宝の春日堂・白山堂です。全国で最も古い春日造社殿だそうです。(鎌倉時代の建物) | ↑お寺の外には平安時代に作られたという庭園が広がっております。 |
→圓成寺を1時間ほどかけてゆっくり拝観したら、ちょうど昼時となっていましたので、門前にある食堂でお昼ごはんを食べることにしました。(この界隈は他にお店らしいお店が見当たらなかったので、選択の余地がありませんでした・笑) 無難なきつねうどん(500円也)を注文。まぁまぁ美味しかったです。 |
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お次は浄瑠璃寺へ。奈良ではなく京都府木津川市にあるお寺ですが、近くなので行ってみることにしました。 ←門前には鄙びた雰囲気のお店や、写真のような無人の売店が並んでいて、中々面白い雰囲気でした。 |
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→浄瑠璃寺の境内には、大きな池を中心とした浄土式庭園が広がっています。この庭園は平安時代に造られたものだそうです。 右の写真に写っている建物は、東側に建つ三重塔(国宝)で、中には薬師如来が安置されています。また、池を挟んでこの三重塔と向かい合う西側には本堂(これも国宝)があり、そこには九体阿弥陀如来が祀られています。これは、東方浄瑠璃世界(此岸=現世)の教主が薬師如来、西方極楽浄土(彼岸)の教主が阿弥陀如来という、顕教四方仏という考え方に基づいた配置となっています。 |
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ちなみにこの三重塔の薬師如来は通常、毎月8日と彼岸中日、そして正月三箇日しか見ることができないそうですが、今年は平城遷都1300年にちなんで、10/31~11/14の期間中、本堂にて特別拝観できるそうです。楽しみ♪(^v^) ←庭園に広がる大きな池。三重塔から向かいに建つ本堂を見たところです。9体の阿弥陀像を横一列に配置するため、横長の建物になっています。平安時代後期に建てられたもので、このような九体阿弥陀堂が現在でも残っているのは、ここ浄瑠璃寺だけだと言われています。 |
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→本堂です。中には高さ2m30cmほどもある大きな阿弥陀如来坐像を中心にして、左右にそれぞれ4体ずつ、高さ1m40cmほどの阿弥陀如来坐像がズラリと並んでいます。平安時代後期のもので国宝に指定されています。よく見ると一体一体、微妙に表情が違っていて、あれこれ見比べるのが面白かったです。 今回は他に、前述した三重塔の薬師如来さんや、いつもこの時期に特別開扉される吉祥天立像にも会えて、すっかりハイテンションになってしまいました。吉祥天は思いのほか小さな仏像でしたが、その豊満な肢体の艶めかしさ、装飾・彩色の美しさ、気高い雰囲気などなど、実に魅力的なお姿でした。 |
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←本堂にいた猫ちゃん。面白いポーズを取っていたのですかさずシャッターを押してしまいました。カワイイ~♡ (≧∇≦) | |
→浄瑠璃寺の次は、近くにある岩船寺に行きました。こちらも奈良ではなく京都府木津川市にあるお寺です。 今はこじんまりとした、少しヒッソリ感の漂うお寺ですが、その歴史は古く、聖武天皇の発願で、行基というお坊さんによって天平元年(729年)に建立されたと伝えられています。パンフレットによると、「最盛期には四域十六町の広大な境内に三十九の坊舎」があったという大寺院だったそうですが、1222年の承久の変によって大半が焼き尽くされてしまったそうです。 |
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↑室町時代に再建されたという三重塔。重要文化財に指定されています。平成15年に大修理が行われ、今はこのような鮮やかな色で彩られています。 | ↑十三重石塔(重要文化財)。鎌倉時代のものだそうです。境内にはこのような石造りの文化財が数多く残っています。 |
←三重塔のある小高い場所から見た阿字池と本堂です。中々趣きのある雰囲気であります。 本堂は1987年に再建された新しい建物。中には平安時代の阿弥陀如来坐像や普賢菩薩像、鎌倉時代の四天王像などが安置されています。 |
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→平城遷都1300年の特別開帳で、三重塔の初層が公開されていました。内部には来迎柱が立てられ、須弥壇と来迎柱が設けられています。内部の壁画は平成の大修理で修復されたもので、極彩色の美しい色合いです。 個人的には、このような鮮やかなものにはあまりピンとこないんですが、どのお寺も本来はこういう美しい色彩で彩られていたのでしょう。 |
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↑正面から初層内部を見たところです。正面の来迎壁には十六羅漢が描かれております。 四方にある扉には方角を司る八方天が描かれ、内部の壁には伝持の八祖のお姿が描かれています。 ちなみにこの写真に写っている扉は東側なのですが、左側の扉に東を司る帝釈天、 右側の扉には東北を司る伊舎那天が描かれています。 ところで伝持の八祖とは、インドで生まれた密教の教えを連綿と伝えてきた歴代の高僧のことです。 金剛薩埵(大日如来の直弟子)から密教経典を授かり世に広めたという龍猛菩薩から始まって、 最後は日本に密教を伝えた弘法大師までの8人が、真言宗では大切に祀られているそうです。 |
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↑こちらは上の写真の裏側から撮影したものです。 西側に位置するこの扉には、左側に西を司る水天、右側には西南を司る羅刹天が描かれています。 こちらの来迎壁には不動明王を中心とする五大明王が描かれております。 燃えさかる炎に包まれたそのお姿があまりにもカッコよくてシビレました(笑)。 |
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今日はたくさんのお寺を巡ることができて、本当に楽しい充実した一日でした☆ こういう鄙びた場所でのんびりと過ごしたおかげか、すごくリフレッシュできた気がします。美しい紅葉も楽しめたし、最高の一日でした。 |
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